SHOKI COLLECTION
作品解説
鍾馗禳魔図
三浦梧門 安政5年(1858)
しょうきじょうまず みうらごもん
三浦梧門(1808~1860)は幕末の長崎で活躍した南画家で、鉄翁祖門、木下逸雲とともに長崎三筆と称されている。鍾馗が突き出している剣の下には梧門本人が記した安政5年(1858)初秋の賛があり、そこには「病魔が横行し、益々勢いが増して亡くなった人は三千人余りも出た」と書かれている。安政五年と言えば長崎から端を発したコレラが日本中で大流行した年で、「病魔」とはこのコレラを指し、鍾馗に捕まっている小鬼はコレラを表している。梧門の描く鍾馗は長崎で評判となり、コレラ除けとして多くの人々に求められたと言う。
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三浦梧門 安政5年(1858)
しょうきじょうまず みうらごもん
三浦梧門(1808~1860)は幕末の長崎で活躍した南画家で、鉄翁祖門、木下逸雲とともに長崎三筆と称されている。鍾馗が突き出している剣の下には梧門本人が記した安政5年(1858)初秋の賛があり、そこには「病魔が横行し、益々勢いが増して亡くなった人は三千人余りも出た」と書かれている。安政五年と言えば長崎から端を発したコレラが日本中で大流行した年で、「病魔」とはこのコレラを指し、鍾馗に捕まっている小鬼はコレラを表している。梧門の描く鍾馗は長崎で評判となり、コレラ除けとして多くの人々に求められたと言う。
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