COLLECTION
長崎歴史文化博物館所蔵の鍾馗作品
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FEATURE
作品解説
昔慕やはり七化 しやうき 中村歌右衛門
柳斎重春 天保9年(1838)
長崎・鍛冶屋町出身の浮世絵師、柳斎重春(1802~1852)は大坂へ出て、浮世絵師として活躍した。三代目中村歌右衛門や二代目嵐璃寛といった人気役者を中心に、上方歌舞伎を題材とした役者絵を多く描く。「昔慕やはり七化」は「ふるむかしけれどやはりななばけ」と読み、四代目中村歌右衛門が天保9年(1838)の1月に大坂で実演した歌舞伎踊りの演目。踊りごとに扮装を早変わりする変化物で、題目の通り四世歌右衛門は越後獅子・鍾馗・座頭・仕丁・太夫・お福・業平に七変化する。元々歌舞伎の世界では、神霊の体を赤く塗り超人的な存在であることを表現するが、本作では疱瘡除けの赤鍾馗の図も意識して作られている。実在の人気役者を、病を退ける神仙に見立てるという趣向を凝らした一枚。
柳斎重春 天保9年(1838)
長崎・鍛冶屋町出身の浮世絵師、柳斎重春(1802~1852)は大坂へ出て、浮世絵師として活躍した。三代目中村歌右衛門や二代目嵐璃寛といった人気役者を中心に、上方歌舞伎を題材とした役者絵を多く描く。「昔慕やはり七化」は「ふるむかしけれどやはりななばけ」と読み、四代目中村歌右衛門が天保9年(1838)の1月に大坂で実演した歌舞伎踊りの演目。踊りごとに扮装を早変わりする変化物で、題目の通り四世歌右衛門は越後獅子・鍾馗・座頭・仕丁・太夫・お福・業平に七変化する。元々歌舞伎の世界では、神霊の体を赤く塗り超人的な存在であることを表現するが、本作では疱瘡除けの赤鍾馗の図も意識して作られている。実在の人気役者を、病を退ける神仙に見立てるという趣向を凝らした一枚。
ABOUT SHOKI
鍾馗(しょうき)とは?
鍾馗と言えば5月5日の端午の節句でおなじみですが、元は中国のおはなしに登場する神様です。中国の古い時代・唐の玄宗皇帝が伝染病にかかり寝ていると、夢の中で小鬼が暴れ回ります。玄宗が困っていると大きな男があらわれて小鬼をやっつけて、玄宗に恩があったので助けたと言うのです。夢から醒めると玄宗の病はすっかり良くなっていました。以来、鍾馗の図は邪気を除けられると信じられるようになったと言われています。更に日本では疱瘡をもたらす疱瘡神が赤色を嫌うという伝承があり、それらが結びついて鍾馗を赤色だけで描く赤鍾馗が疱瘡除けのお守りとして描かれるようになりました。
れきぶんの収蔵品には鍾馗をテーマとした作品がいくつかあります。中国との関係が深い長崎では、中国の伝説を元としている鍾馗はなじみのある図様だったのでしょう。更に安政5年に長崎から全国へ広がったコレラの流行の際には、コレラを除けるお守りとして人々が鍾馗の図を求めたと伝えられています。れきぶん収蔵の鍾馗にまつわる資料を見ながら長崎の歴史や文化にふれてみましょう。
れきぶんの収蔵品には鍾馗をテーマとした作品がいくつかあります。中国との関係が深い長崎では、中国の伝説を元としている鍾馗はなじみのある図様だったのでしょう。更に安政5年に長崎から全国へ広がったコレラの流行の際には、コレラを除けるお守りとして人々が鍾馗の図を求めたと伝えられています。れきぶん収蔵の鍾馗にまつわる資料を見ながら長崎の歴史や文化にふれてみましょう。
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長崎歴史文化博物館/れきぶん【公式】
長崎の海外交流史をテーマに貴重な歴史資料や美術作品を展示。ここにはかつて「長崎奉行所」があり、敷地内にはその一部も復元。歴史を体感しながら学ぶゾーンや様々な企画展・イベントも充実!ぜひれきぶんへ!
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長崎市旧香港上海銀行長崎支店記念館
れきぶんの兄弟館。国指定重要文化財「旧香港上海銀行長崎支店」を活用した博物館で、長崎の近代交流史を紹介するとともに、中国革命の父・孫文と長崎出身の実業家・梅屋庄吉の国境を越えた友情の物語を伝えます。