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安政二年「日蘭条約書」
Dutch-Japanese Treaty; 1856
収蔵資料詳細
資料名 安政二年「日蘭条約書」
アンセイニネン*ニチラン ジョウヤクショ

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別名 安政二年 日蘭条約書
 
Title Dutch-Japanese Treaty; 1856
オリジナル番号 14 79-4 1
中国語タイトル 日兰条约书 1856年(安政2)
韓国語タイトル 일란조약서 1856년
作者・生産地 長崎奉行所/編@ドンケル,クルチィウス/編
Artist,Place ...  
製作年(時期)・伝来時期  

サイズ size 45.4×65.8cm 付属品  
重さ   箱・箱書き等  
コレクション   署名・サイン等  
素材・技法   備考 1枚
安政二年日蘭条約書 附安政二年日蘭条約書和文写等(国指定重要文化財)
羊皮紙 全文60行 蘭文にて第一条より第二十八条迄の条約文を記す
条約末にオランダ理事官ヤン=ヘンドリック=ドンケル=クルチウスの自署あり
Material   指定状況  
形態   来歴  

資料解説
解説・読み下し 著・長崎奉行所。成・安政二年。内・オランダの対日条約については、商館長ドンケル・クルチィウスが、前年からオランダ国民に対しても各国民同様の取扱をするよう要求していた。同年七月二七日長崎奉行に条約の締結をせまり「和蘭国日本国条約草稿(一一条)」「同副章(一一条)」「和蘭船并其国民長崎来着滞在之規定書草稿(三一条)「同副章(二一章)を提出した。そこで奉行はクルチィウスと折衝し、九月晦日予備約定二九か条を定め、仮調印を終え、一二月二九日条約二八条に調印した。主な条項は「オランダ人の遊歩」「日本の法律侵犯」「他国への開港はオランダへも同様取扱い」「出島の住居、借地家居修理は従来通り」「通商は従来の振合いによる」などである。これは米、露、英と同じ権益を与えるものであった。この条約は、同四年八月二九日に批准を了したが、同時に同日付けで、追加条約四〇か条を調印した。主として通商規定で、箱舘での貿易許可、船数や額の制限撤廃、オランダ人の遊歩地設定、出島での信教の自由などを認めたものである。また日蘭条約書には付属文書として、次のものがある「和蘭条約」「和蘭条約蘭語直訳」安政二年、二点本。条約原本は羊皮紙(縦四六センチ、横六六センチ)にペン書きされている。
なお「和蘭条約書」安政二年(14 79-4 5)「条約之儀ニ付滞在之阿蘭陀人江かひたんより相達候書面写横文字和解」安政二年一二月(14 79-4 14)「和蘭条約書副章和解」安政三年九月(14 79-4 8・14 79-4 9)「和文和蘭条約附録」安政四年(14 79-4 4)「阿蘭陀条約」安政四年(14 79-4 7)「日蘭追加条件和解」安政四年八月(14 79-4 10)「日蘭追加条件続部和解」安政四年八月(14 79-4 12)「日蘭条約追加条件」(14 79-4 11)「和蘭条約附録」安政五年(14 79-4 6)「英咭唎条約和解一綴・和蘭条約一件・和蘭国日本約条草稿和解」安政二年(14 79-4 13)などの関係文書があるが、これらは原本とともに国指定の重要文化財となっている。(『長崎県の郷土史料』p.149)

1856年(安政2)に幕府の指令を受けた長崎奉行荒尾石見守らと最後のオランダ館長クルチウスとの間で締結された条約です。この条約により旧来のオランダ人に対する行動の制限は解除され、長崎の開港が規定されたことにより、オランダの対日貿易の独占が崩壊することになりました。
Description In 1856, the Nagasaki magistrate, Arao Iwami-no-kami, and other officials concluded this treaty with Jan Hendrik Donker Curtius, the last director of the Dutch trading post, at the command of the shogunate. This treaty lifted the longstanding restrictions on the activities of Dutch people in the city. It also stipulated that the port of Nagasaki be opened to foreign ships, ending the Dutch monopoly on European trade with Japan.

1856年,即安政2年,长崎奉行荒尾石见守等人受幕府指示,与最后一任荷兰馆长柯歇斯(Donker Curtius)缔结条约。这份条约解除了对荷兰人的行动限制,规定了关于长崎开港的事宜。由此,荷兰对日本的贸易垄断正式结束。

1856년 막부의 명령을 받은 아라오 이와미노카미 나가사키 부교 일행과 마지막 네덜란드 관장 쿠르티우스가 체결한 조약입니다. 이 조약으로 인해 네덜란드인에 대한 행동 제약이 해제되었고 나가사키가 개항되면서 네덜란드의 대일 독점무역이 무너지게 되었습니다.


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